東谷暁「日本経済の突破口」

 本書は『正論』に収められた東谷氏の論説を収めたものである。はっきりといえば貴重な時間を割いて読むべき本ではないし、無理解に基づく記述も多いのでお勧めはしない。こんな評論が売れるのなら俺でも書けると放言してみたいところだ。
 個人的な興味としていえば、格差問題を保守層がどう捉えているのか、「構造改革」は日本に何をもたらしたのか、「上げ潮派」や「財政タカ派」といった経済政策論争をどうみるか、高橋洋一氏の主張をどうみるか、改革派経済学者たちをどうみるか、といった点について東谷氏の感想を改めて確認したかっただけであり、そしてそのことで、これらのテーマの知見が広がるかという期待があったというのが本書を手に取った理由である。残念ながらそうはならなかった。尤もこれは私の感想なので、気になる人はざっと確認しても良いと思う。
 根本的な話題は別に批判するとして、細々とした点についての明らかな無理解が奇妙な主張へとつながる箇所がある。例えば、本書の第八章「上げ潮派」対「財政タカ派」の虚妄あたりを題材に指摘してみよう。
 まず、「米国の労働生産性が90年代の後半に伸びたのは労働生産性の伸び率を産出する際の方式変更がもたらした要因も大きかった。・・この産出法の変更は、当時のFRB議長グリーンスパンが主導した。」、「GDPデフレータの算出法を以前より小さい数値のものに変えただけである。」と論じているが、これは間違いである。算出法の変更は連鎖方式への移行を指しているが、連鎖方式により従来型の固定基準年のパーシェ方式から基準年が固定されることに伴うバイアスが修正され実勢を反映した形になっているのであって、何か悪いことをして労働生産性の値を水増ししたかのような記述をするのはおかしい。そしてデフレータに関する記述も全く分かっていない。GDPデフレータは、名目GDPを構成する要素それぞれについて個々の価格指数を用いて実質化した値を足しまず実質GDPを作ったうえで名目GDPを実質GDPで叙することで事後的に得られる値(インプリシットデフレータ)である。消費者物価指数のように財別の価格指数を集計して得るのではない。偉そうなことを書くのなら基本的な話ぐらいきちんと調べて書くべきだ。
 なお、労働生産性が結果としての数値であり、それを目標として政策的に何かをしようというのはおかしいという主張には同意する。しかしながらIT革命をあおったのがグリーンスパンであるような言い方はよしたほうが良い。念のため注意しておくと、上げ潮派は経済成長・財政支出削減・構造改革の三点セットを旨とするが、このうちで実際に達成できたものは多くはない。そして経済政策の考え方としてみた場合、当面財政破綻の懸念が見えないにも関わらず経済成長を犠牲にして増税を行い、しかも増税したとしても財政悪化が早期に解決するわけではないと考えれば財政タカ派の議論に賛成できないのは当たり前だろう。
 次に第九章「埋蔵金男」の経済学についてみよう。もう聞き飽きた部分もあるのだが、マンデルフレミングの話題である。これも相変わらず変である。高橋氏の話は財政政策のみを行っても意味はなく、金融緩和を伴わないと駄目だという主張だろう。適切なポリシーミックスを行えば財政政策のみ、金融政策のみ、という形で政策を行うよりも効果は高いのは明らかで、何もわざわざ言う話ではない。そしてポリシーミックスで対応するか金融政策で対応するかは政策を発動する時点の経済状況、そして将来見込まれる経済状況に依存する。さらに外需が強い状況ならば、たとえ内需を動かすことができなくてもスベンソン手法も使えて、外需を梃に回復を果たすことも可能である。『「大国開放体系」の場合、為替レートにある程度の影響を与える金融緩和策が可能なので、財政政策も効かないというわけではない。』と書かれているのだが、何を言いたいのか不明である。危機が深刻であれば、政策手段を組み合わせて、政策効果を高めることが必要なのは明らかである。政策手段をどう採用するかはその時に応じて変わるのは当たり前だし、変わらない現実に対して唯一の政策手段を主張しあうのが政策論争なのだろうか。現実は常に変わり、その中でどのような政策手段、もしくは政策手段の組み合わせが望ましいかを論じることが必要なのは明らかだろう。
 後、相変わらずだが、「日銀はインフレターゲット論を採用しています」と国民に向かって宣言することで、インフレ期待が醸成されるのなら誰も苦労は要らないだろう。「政府紙幣を採用します」といえばハイパーインフレになると唱えた某政治家と同じ思い込みで批判するのは不当である。インフレターゲットには目標を明確にし(その一貫として宣言云々もあるし明確であれば別に宣言しなくても良い)、その目標にコミットするために具体的な政策手段を利用していくという二つの枠組みを有したものだろう。バーナンキ云々についてはこちらのエントリを読まれたい。呪文のようにインフレ目標を唱えてインフレが達成できると誰がいつ提言したのだろうか?この点、東谷氏は実態の無い「市場原理主義」を批判する人々と同じ過ち、つまり藁人形を攻撃対象に必死に槍を突き刺しているのである。

日本経済の突破口

日本経済の突破口