「世界金融危機」は終わったのか?(その2)

 前回のエントリでは、世界経済の現状、特に今回の危機の震源地であった米国の経済状況を金融セクターと実体経済の二つの綱引きが続く状況と指摘した。つまり金融セクターはFRB財務省による政策努力により信用危機を回避し、回復に転じている。ただしこの状況は重病人に対してFRB財務省による生命維持装置が部分的に適用されている状態に等しく、病人が完全に回復に転じ、退院するまでにはまだ時間がかかる。一方で実体経済に関しては失業率の悪化、成長率の低下、内需の低下、物価上昇率の減少というように悪化が続いている。世界経済の動向について楽観的な見方と悲観的な見方が交差しているように思われるのは、以上の相互作用が理由なのである。
 さて、今回簡単にメモしたいのは、「過去生じた金融危機がどのような形で収束に向かったか」という知見に照らした際に、今回の危機がどのような道筋を辿るのかという点についてだ。ラインハート・ロゴフ「This Time Is Different」第14章の分析を足がかりにしつつ見ていこう。

1.現状と過去の金融危機との比較
 ラインハートとロゴフは、第二次大戦後に先進国で生じた18の金融危機(うち、深刻な5つの危機:1977年のスペイン、1987年のノルウェー、1991年のフィンランドスウェーデン、1992年の日本、を含む)に加えて、新興国で生じた深刻な金融危機として、1997年から98年のアジア通貨危機、南米の通貨危機(1998年のコロンビア、2001年のアルゼンチン)、更に1929年の大恐慌、現在の危機(米国、アイルランド、英国:以上は2007年から、ハンガリーオーストリア:以上は2008年から)をサンプルとして今回の金融危機の今後を分析している。
 彼らによれば、深刻な金融危機の後に生じる経済の絵姿とは以下のような特徴を持つ。

1.資産市場の崩壊は深刻かつ長期化する。実質住宅価格は平均で35%下落し、住宅価格の下落局面は6年間続く。株価は56%程度下落し、下落局面が続くのは3年半。
2.金融危機が生じた後には、生産と雇用の長期的停滞が生じる。失業率は7%ポイント程度悪化し、停滞は4年以上続く。一人あたり実質GDPの悪化は9%、停滞は2年続く。
3.政府債務は拡大する。第二次大戦後のサンプルの平均は86%(実質ベース、危機前との比較)の拡大となる。この拡大の原因は、政府による金融機関救済や資本注入によるものというよりは、金利の上昇や、財政支出の拡大(日本の例が典型)によるものである。

 さて、この特徴を念頭に置いた場合、金融危機が生じている各国(米国、アイルランド、英国、ハンガリーオーストリア)の今後はどのように見通せるのだろうか。
 まず、住宅価格(Fig14.1)についてだが、S&Pケース・シラー指数の動向を見ると、2007年以降の住宅価格の急落には驚かされるが、これまでの米国の住宅価格の下落幅は30%未満であり、ラインハートとロゴフがサンプルとして取り上げた金融危機の平均値35%よりも低い。そして、下落局面という意味では金融危機の平均値は6年だが、米国の場合は2年半程度でしかない。尤も、下落局面の長さという意味では、日本のバブル崩壊の事例が含まれているため、これを除けば5年程度となる。因みにアイルランドアイスランドオーストリアハンガリー、英国については住宅価格の下落幅も小さく、かつ期間も短い。今後も下落幅が拡大し、長期化する可能性は高い。
 株価(Fig14.2)については、過去の金融危機の平均は56%程度、下落局面は3年半となっている。これまでの米国の株価下落率は50%未満、期間は2年半程度である。米国以外の国に目を転じると、アイスランドアイルランドオーストリアといった国々では、株価の下落は60%〜90%であり、既に金融危機の平均よりも深刻な状況である。スペイン、ハンガリー、英国といった国では株価下落率の平均値は低く、かつ期間も短い。住宅価格の下落と合わせて今後深刻化するリスクを考慮した方が良いのかもしれない。
 失業率(Fig14.3)の変化についてはどうだろうか。傾向として新興国の影響が小さく、先進国への影響が大であることがわかるが、これは新興国の場合には賃金調整によって雇用が相対的に維持される傾向があるためである。一方で先進国の場合は、雇用調整に伴うセーフティネットが整備されているため失業率の悪化が進んでいる。サンプルの平均値は7%ポイントの悪化、悪化局面は4年続くというものだ。ただし、住宅価格と同じく他の金融危機と突出して長期に渡って続いた日本のケースを除けば3年半くらいが平均といったところだろう。これまでの米国の失業率の悪化は5%ポイント程度、期間は2年半程度である。平均値をベンチマークとすれば米国の失業率は11%台となり、2010年半ばくらいまで悪化が続くことになる。
 そして、一人あたり実質GDP成長率(Fig14.4)の推移である。サンプルの平均値は9%の悪化、期間は2年である。ただし、この影響は新興国の悪化分がバイアスを与えている可能性が高い。先進国のみの影響とすれば、一人あたり実質GDPへの影響はもっと低いものになるだろう。

2.過去の金融危機インパクトから何が得られるか
 以上、ラインハートとロゴフの分析と現在の危機の状況とを簡単に比較してみた。過去の金融危機における住宅価格、株価、失業率、一人あたり実質GDP成長率の推移からは、株価への影響が深刻なアイスランドオーストリアアイルランドの状態をのぞけば、今回の危機のインパクトは、影響及び期間の二つの側面について過去の金融危機の平均水準をクリアしていないということが言える。
 そして、この類推から言えるのは、現在の危機が既に終わったものではなく、今後も続くという視点である。
 S&Pケース・シラー指数の動向をみると、住宅価格は2009年5月以降下げ止まり上昇に転じてきている。ただし上昇の動きは弱い。仮に住宅価格の水準が現状で下げ止まったとしても、恐らくは明確な形で上昇に転じるには後1年〜2年くらいはかかるのではないだろうか。現在の株価の動向を見る限り、米国の場合(S&P500)は50%未満の下落幅、かつ下落が続いたのは2年3ヶ月程度といったところか。このままで済むのならば、株価への影響は軽微であるということになる。そして平均値をベンチマークとすれば米国の失業率は11%台となり、2010年半ばくらいまで悪化が続くことになる。以上からは後1年くらいは米国の停滞は続くのではないだろうか。
 ただし、回復後の米国経済は、世界経済の一大消費地として君臨したかつての米国ではない可能性が高い。寧ろ失業率は高止まりし、住宅等の資産を梃子とした旺盛な消費は影を潜めるという姿が浮かぶ。株価の下落は今後生じず、過去の金融危機とは異なり住宅価格は反転して力強い上昇を示し、失業率も5%くらいまで改善するといった姿が現実化するのならば、まさにバーナンキはスーパーヒーローになり、今回の危機に対してバーナンキが行った金融政策は勝利を収め、更に財政政策の出番はほとんどなかったということになるだろう。尤も、現状でもヒーローの名にバーナンキはあたるのではないかとも思うが。
 しかし、残念ながらデータを見る限り、バーナンキがスーパーヒーローになる可能性は薄いということがいえるのではないだろうか。来週は、ラインハート・ロゴフ「This Time Is Different」第14章の残りの部分−政府債務の蓄積と金利、の視点を足がかりに、この点についてメモ書きしてみたい。