田中秀臣『偏差値40から良い会社に入る方法』を読む。

 本書は、筆者が構想する「雇用三部作」のうちの二作目に位置づけられる本である。一作目はご存知『雇用大崩壊』であり、当ブログでも感想を書かせていただいた。本書のあとがきで述べられている通り、仮に政府が政策転換を行ったとしても、学生の就職という問題は待ったなしで目前に迫り、就職活動を現在行っている学生にとっては景気が改善するのを気長に待つ余裕は無いだろう。景気悪化を前提として、就職活動に直面した学生がどのような点に留意していく必要があるか、保護者や教員の方がどのような工夫・支援をしていくことが必要なのか、という点が本書のメイン・テーマである。そして試験で用意されているような唯一の答えはない、のも就職活動の特徴であり、著者が就職指導を行ってきた実践的活動から得られるポイントといったものを基礎に本書は書かれている。本書を読んで驚き、かつ多いに同意した点をいくつか指摘してみたい。
 まず一つ目の点。学生が就職の面接に臨む際に必ず話題にするのが、アルバイトやサークル、資格試験への挑戦といった「自分の経験」についてだが、実際に面接を行う企業の担当者からすれば、そのような話題には大した重要性が払われていないという点である。
 この指摘は就職活動当時、自分も同様に思っていたので驚いた次第である。自分の場合も所謂「就職本」で指摘されているような「自己分析→自分の経験を論理的に語る」という形には学生時代から違和感を持っていて、これに真っ向から背を向ける形での面接を行った。
 なぜかといえば、以下のように考えたためである。そもそも企業側は、採用者(彼らも就職活動を経験していることを忘れてはならない)が容易に想像できるような些細なアルバイトやサークルや資格試験の挑戦といった「自分の経験」を貴重な時間の中で開陳してもらおうとは思っていない。単純な事実だが、大学生のアイデンティティは「大学での学業」であってそれ以上でも以下でもない。よって語るべきは大学で何を学び何を考えたのかという点であって、その枠組みから企業をなぜ応募するに至ったのかという点なのである。
 当たり前だが、企業側は学生の本分に目もくれずに自分勝手な活動に精を出すような人間を高く評価はしない。企業がOJTで新人を育てつつ仕事を任せていく、というスタイルをとっているのは(今だと一概には言えないが)、大学で学んだ内容が仕事に即応しないという理由であって、大学で勉学をすることが無意味ということを意味しているわけではない。企業側がその人の何に着目するかといえば、与えられたミッションにいかに前向き・誠実に対処し実行して成果を挙げうるのかという点であって、自分で抜け道を探り、自分勝手な行動で得られた成果をアピールされても困ってしまうだろう。天邪鬼としての自分は「勉強しても社会には通用しない」という揶揄が気に入らないこともあって、それなら俺はそういった揶揄とは逆のことをしようとも思ったのである。
 本書は「就職非コア層」に向けてかかれた本だが、「就職コア層」でも自分が活動した際には格差が生じていた。同じ大学でも楽々と多数の企業から内定を得て早々に就職活動を終える人間と、いつまで経っても就職できずに居る人間が綺麗に分化していたが、誤解を恐れずに書けば、この格差は「学生の本分」にいかに前向きに取り組んできたかの差だと思う。もう4年生になってしまえば取り返しが付かないけれども、折角苦労して受験して入学した大学でまともに勉強しないのは非常にもったいないと今でも思う。成績は重要なポイントというのが当時の感触だった。
 学生当時、自分はこのように考えて「あなたは何をしてきたのか?」と問われれば、自分がどんな目的で何を学び、その結果何を考えて、今回の面接に至ったのかを面接担当の趣向を探りつつあの手この手で語ることにした。
 就職活動には一定の解はないので、勿論一部の企業の採用担当者の方からは敬遠されたりもしたが、それはそれで仕方なし。どの途無理にそのような企業に入ったからといって納得して仕事に励むことも出来ないからと達観することにした。
 そして、面接をさせていただくからには、相手の企業の事を出来るだけ知るように心がけた。この点も本書で指摘されているとおりだが、自分の場合は、興味を持った業界の内容をまず業界本(毎年この時期に東洋経済等々で刊行されている絵入りのもので、見開きで業界動向が一望できる簡単なもの)を手に入れて、大手・中小・等々・・の構図を頭に入れることを心がけた。その上でDMを分類して、企業の経営理念と社長の言葉、どんなことに注目して事業を行っているかという点について注目しつつ調べていった。採用側を経験すると、学生がしたり顔で「御社の事業の中でこれこれは・・・」とやられても苦笑するしかない場合が多い。何せ学生は仕事を経験していないのだから。だとすると、多少理屈っぽくても社風のどこに惚れ込んだのかを具体的に記述した方が良い。自分の場合はそんなことを考えてDMの返事書きにいそしんだわけである。
 勿論、理屈をこねすぎてその後連絡が来なかった企業もあったわけだが、その後自分が企業に入り面接を担当する機会を得るようになって、幸運にもこういった形で学生の方から「御社がファンです」と指摘されると非常に嬉しい気持ちになることに気がついた。数年で辞めてしまうのであれば話は別だが、長く勤めればそれなりに自分の勤める企業には「ウチノカイシャ」という形で愛着が出るものである。
 自分の例は一例に過ぎないが、面接といっても採用担当者と学生とのコミュニケーションである。その重要性の指摘が具体的なポイントとともに本書で指摘されていたのには多いに同意するとともに、興味深かった。
 もう1つ目の点。それは「ゆとり世代」の学生の方がどんな活動をしているのか、という点である。ゆとり世代の就職は内定一社、というと、採用が厳しい現状ではやっとの思いで企業の内定を勝ち得たという側面ばかりを連想してしまうのだが、どうもそうではないらしい。本書ではこの「ゆとり世代」の就職活動について様々な側面から論じられているが、正直「なるほどなぁ」と感じた。確かに就職活動は一刻も早く辞めて遊んだりするほうが気楽で良いのかもしれないが、就職しても自分が経験できる企業は一社だけである。それぞれに多種多様の顔を持つ企業が、自分の頭で考える企業像といかに違うのか、という点を把握するのに就職活動は絶好の機会であるし、「自分探し」に「ゆとり世代」の学生の方は熱心ではないのかなぁ・・という感想も持った次第である。
 面接が怖い、という話は確かに引っ込み思案の自分もそう感じたりはしたが、数をこなせばある意味どうでも良くなる。何せ学生はお客様であって、面接で失敗したからといって巨額の請求を要求されたりすることはない。寧ろ採用担当者に一定の敬意を払いながら自分の意見を言って言下に否定されることがないのは就職活動くらいだ(笑。勿論、「ゆとり世代」が良いとか悪いとかいうことではないが、興味深く読んだ。「行列待ちの列にあえて並ぶ就職状況」は当時も今も変わらないんだなぁ・・と思ったのだが、自分の可能性を最大限発揮できる場、それを適用してあわよくばお金がもらえるような職場が何所なのかという一点のみが重要で、人様の人気や格好良さという点は全く関係ない、と考えるような人間はやはり希少価値があるのだろうか。
 最後の点。それは現在の雇用情勢についての本書の議論である。深刻な不況に突入すると、企業は採用活動を抑制することになるが、一方でこれまで人を採用することが困難であった業種の採用活動は活発化することもある。自分の場合、金融、メーカー、等々様々な会社を受けた(大企業も中小企業もいろいろ・・)が、一番注意したのはこういった「妙に採用したい採用したいと連呼する企業」である。やはり「甘い話にはウラがある」のである。勿論、そのことで失敗する人も居るし、寧ろ自分の個性を最大限発揮して成功する人も居るので一概には言えない。
 現在の雇用情勢の中では、長年働いてきた会社から解雇され、全く別の業種で職を得なければならない人も居る。そして職を得ることが出来ない人も多数居るのは周知の事実である。この事実を「労働市場のミスマッチ」と称して簡単に人の移動を進めればよいという議論は誤りだと思う。そんなことを主張する向きは、自分が今まで働いてきた職業をいきなり解雇されて、全くお門違いの職業、そして現在の職業よりも劣悪な環境におかれる状況が生じることを想像してみられるが良い。これを「労働市場のミスマッチからの解消」と言うのだろうか。自分はそのような議論にはどうしても同意できない。本書で述べられているとおり、「椅子の取り合い」の方法ではなく、「椅子の数」を増やすことが必要なのである。
 非常に大仰な、ただし事実であると自分が感じるのは、仕事をするということは、自分の生き甲斐でもあるということだ。一時的ではなく、一生非正規労働に甘んじざるを得ないという事実が眼前に迫っているとしたら、人は自分の将来に希望が持てないだろう。90年代の長期停滞を通じて00年代を経、更に世界的な実体経済の悪化に瀕している我が国が抱える雇用問題、そこから生じる不安・不信・生き辛さ、といったものの根幹にはこのような気分が基点となっているのは間違いない。本書を読んで以上のような点を感じた次第である。