河上肇が見た「月」
奇縁としか言いようが無いのだが、河上肇みずからの詩作をこの目で直に鑑賞する機会を得た。明月(めいげつ)という、以下の五言絶句である。出獄の翌年(昭和十三年)五月十二日の作。なお、原文は縦書きだが、インターネットのサイト(河上肇「閉戸閑詠」)(http://www.aozora.gr.jp/cards/000250/files/43720_33018.html)に記載されているような横書きで記す。
明月
難忘幽圄月 忘れがたし幽圄の月。
今夜月光圓 こよひ月光まどかなり。
歩月人迷野 月に歩して人は野に迷ひ、
照人月度天 人を照らして月天をわたる。
五月十二日
無学な身分であり解説などおこがましい限りなので、一海先生の『河上肇と中国の詩人たち』(筑摩書房)、『河上肇詩注』(岩波新書)から、該当する箇所を抜書きしつつ意味をみていこう。月という言葉の意味についてである。
「幽圄(ゆうご)」は、牢獄。この一篇の詩を読んですぐ気づくのは、毎句に「月」という字が出て来ることであろう。中国古典詩のうち最も短い詩型である「絶句」では、一篇の中で同じ字を二度使うことをきらう。タブーとしてさけるのがふつうである。常識である。
しかしながら上の「明月」には月という文字が頻繁に出てくる。河上は当然タブーの意味を知っており「わざと」月を頻繁に登場させているのだが、それはなぜだろうか。『河上肇と中国の詩人たち』にある一海先生の解説によれば、その秘密は河上肇が弟の左京に宛てて書いた手紙(昭和十三年五月三十日)の中にあるという。河上肇は左京への手紙の中で「明月」の意味を以下のように書く。
詩の意味は、「獄中で見た月は−四年間鉄窓を隔てて見た月は−実に万感の泉であった。それはとても一生忘れられない。ところで今夜は正に明月で、月光皎々として居るが、それを見るとまた獄中でかうした月を眺めた日のことを思ひ出す。万感こもごも起つてとても眠れないので、家を出て月光に浴してぶらぶらとどこまでも野にさまよひ歩いて居ると、月は我を照らしながら空をわたつて居る。」といふ意味なので、人はマルクス主義を奉じて人生の行路を踏み迷つたかに見えるかも知れないが、しかし月(河上はこの「月」の字を消して「マルクス主義」と書き改めている)は少しの間違もなしに大空を渡つて天下を照らしているぞ、という寓意を含めて居るのです。どうです、さう思つて読んで見ると、ちょつといいでせう。
一海先生の解説にもあるのだが、敢えて月という言葉を多用し、そこに寓意をこめた河上の生きた時代とは、自らの思想を表に出すことのむつかしい時代だった。特に戦時下において出獄後も特高警察の監視下にあり、かつ刊行物への執筆が一切拒絶された河上にとってはこのような詩を物すことが自らへの慰めだったのだろう。手紙のとおり、そうおもって読んでみると中々味のあるものだ。薄紙の上を流麗に滑るような筆致とともに「明月」を再度読み直して「ちょつといいでせう」という河上の言葉が直に伝わってくるような気がしたのは偶然だろうか。
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