1970年代の経済動向を簡単に振り返る。

 以下さわりのみ。続きはどこか別の所で・・の予定の筈?

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 1970年代を経済成長の観点から見た場合、どのように概観することが可能だろうか。一つの考え方は、実質ベースで戦後初のマイナス成長が生じた1974年を境としてその前後で経済成長率が有意に異なっているという点に着目しつつ、1970年代を高度経済成長としての1960年代と安定成長期としての1980年代との結節点として捉えるというものだろう。
我が国は第二次大戦後の停滞期を乗り越え、高度経済成長と呼ばれる10%超の経済成長を経験した。1960年代は高度経済成長期に該当するが、この間の実質GDP成長率は平均で10.5%であった。そしてこの経済成長の原動力となったのが旺盛な民間消費(60年代平均寄与度5.9%)と民間設備投資(60年代平均寄与度1.9%)の増加であった。
 1970年代の実質GDP成長率は平均で5.2%であり、1960年代と比較して半減しているがその変化は突然生じたわけではない。大まかに1970年代を特徴づければ、これまでの長期好況に陰りがさし景気の後退期に突入していく1970年及び1971年、急激な回復を果たした1972年及び73年、第一次石油ショックに伴う経済停滞(戦後初のマイナス成長)を経験した1974年、第一次石油ショック以降の停滞期からの回復過程である1975年〜78年、第二次石油ショックを経験した1979年という形で整理することができる。

図1−1:1960年代〜1980年代の実質GDP成長率と各項目の寄与度

注1:60年から79年の数値は68SNA(平成2年基準)、80年以降の数値は93SNA(平成7年基準)である。
注2:図中の「好況」及び「不況」は内閣府景気循環日付に基づく「谷から山」及び「山から谷」の局面を意味しており、景気循環の動向を示している。
出所:内閣府『国民経済計算』、『景気循環日付』より作成。

 そして1980年代の我が国は第二次石油ショックによる経済停滞期を乗り切った後、1986年から1990年代初頭にかけて好況期に突入していくことになる。但し、この間の経済成長率は最も高い1988年においても6.8%であり、第一次石油ショック直前期の8%台に到達することはなかった。
 1974年のマイナス成長期を境にして日本経済の成長率が大きく低下した点に着目して、実質GDP成長率及び各項目の寄与度を比較してみると(表1−1)、1960年〜73年の平均成長率は9.7%であるのに対して1975年〜89年の平均成長率は3.9%であり、5.8ポイント減少している。成長率の水準に対する各コンポーネントの影響を見るために寄与度をみると、減少幅が大きいのは民間最終消費支出(−3.4ポイント)、民間投資(−1.9ポイント)である。

表1-1 実質GDP及び寄与度・寄与率の比較

注1:寄与率は上図の寄与度で記載されている数値より、各コンポーネントの寄与度/実質GDP成長率×100として計算した値。
注2:民間投資=民間住宅投資+民間設備投資+民間在庫品増加、公需=政府最終消費+公的固定資本形成+公的在庫品増加
出所:内閣府『国民経済計算』より筆者作成。

 成長率の大小を考える場合、ある一定水準の成長率に対して各項目がどの程度影響しているのかを把握することも必要である。表1−1の下段の寄与率はこのような意味合いで示したものだが、住宅投資、公共投資(公的固定資本形成)、輸入の寄与率の減少、輸出の寄与率の増加が特徴的な変化であることがわかる。つまり、1974年のマイナス成長期を境として、高度経済成長を支えた消費と投資のGDP成長率に与える影響が寄与率・寄与度の両面において低下したことが実質成長率の有意な差を生み出したのである。
 物価について敷衍すると、1974年のマイナス成長を記録した日本経済は生鮮食品の価格変化を除いたコアCPIで32.9%、卸売物価指数で27.2%、GDPデフレータで21.9%という急激なインフレーションを経験した(図1−2)。

図1-2 GDPデフレータ消費者物価指数、卸売物価指数の推移

注:物価指数は全て対前年同期比である。
出所:総務省消費者物価指数』、日本銀行『卸売物価指数』、内閣府『国民経済計算』

 物価上昇は、概ね好況期の最中の1972年第4四半期から本格化していき、1974年にピークをつけた後、1975年中には物価上昇が
生じる前の水準に戻っている。その後、第二次オイルショックが生じた1979年には再び上昇に転じるが、1974年に経験した対前年同期比で20%以上の高率の物価上昇が生じることはなかった。
 1974年にかけての物価上昇の過程は名目給与の伸びが加速していく過程でもあった(図1-3)。名目ベースの給与を示す現金給与総額の伸びは1973年第1四半期までは15%程度であったが、1973年第3四半期には25%以上の伸びを示した。図中ではCPIコアで現金給与総額をデフレートした実質賃金の伸びを併せて記載しているが、1973年までは概ね10%程度の伸びを維持しており、完全失業率の低下とあわせれば労働市場が逼迫していたことがうかがわれる。そして、1974年第1四半期から75年第4四半期にかけての物価上昇が収束する過程の中で、実質賃金は5%程度の伸びへと低下し、完全失業率は1%前半から2%台へと上昇するのである。1960年代の高度成長期には名目及び実質ベースの所得上昇が旺盛な消費の伸びを牽引したが、1974年の物価上昇は完全失業率の上昇と名目及び実質ベースの所得の伸びの低下をもたらすことで、1975年以降の民間消費の寄与度の低下を引き起こしたと見ることができよう。

図1-3 我が国の雇用動向

注:完全失業率は季節調整済係数、現金給与総額は従業員30人以上の事業所についての値、実質賃金は現金給与総額を図1−2のCPIコアでデフレートした値。
出所:厚生労働省『毎月勤労統計調査』、総務省労働力調査

 1973年から74年にかけての急激な物価上昇の進展は、我が国の企業行動にも影響を与えた。企業利益は1970年度、71年度の不況期に減少に転じたものの、1972年度には再び増加となり、1973年度には高度経済成長期の水準を上回る規模に達した。その間、生産及び投資も堅調に増加を続けている。1974年度及び75年度には企業利益、生産、投資のいずれもが減少に転じ1970年代後半にかけて緩やかに回復過程を歩んでいくことになるが、生産レベルが1973年度の水準を上回ったのは78年度以降、投資については79年度以降であり、企業利益については売上高経常利益率のベースで73年度の水準を上回ることは現在に至るまで一度もなかったのである。

図1-4 生産及び利益の動向

注:売上高経常利益率(%)=経常利益/売上高×100
出所:経済産業省鉱工業生産指数』、財務省『法人企業統計』