加藤涼『現代マクロ経済学講義―動学的一般均衡モデル入門』を読む。

マクロ経済学の領域において、初中級レベルのマクロ経済学IS-LMモデルおよびAS-ADモデルの体系)と上級マクロ経済学(動学マクロ経済学)との乖離が激しいということはよく言われる点である。上級マクロ経済学というのは、大雑把に纏めてしまえば所謂ルーカス批判をクリアする試みとしてのフォワードルッキングな枠組みを有しつつ、更には集計量として記述される経済変数と個別主体の行動が整合的となるようにモデルとして記述する試み(ミクロ的基礎付け)を加味したもの、ということだろう。その意味でマクロ経済学ミクロ経済学という区分けはあまり意味が無くなっているというわけである。
 本書では初中級レベルのマクロ経済学と上級マクロ経済学を一つの統一的な視座(動学的一般均衡モデル:DSGEモデル)の枠組みで示しつつ、あわせてシミュレーションのツールとしてのMatlabを用いた解説が付されている。邦語でこのような文献が刊行されたことは、専門外の人間にとっては大変有益である。以下、本書で展開されているモデルの中身の部分、他の計量モデルの関係について無知を隠さずに*1私見を纏めつつ若干の感想を書いてみることにしたい。


1.解説されているモデルについて
 まずざっと内容をおさらいしつつ各章でふれられているモデルを敷衍したい。
 第一章は動学的一般均衡モデルとして、ミクロ的基礎付けの必要性がIS-LMモデルとNew IS-LMモデルとの対比によって示されるとともに、再出発の原型(基本的なピザ)としての位置づけのリアルビジネスサイクルモデル(RBCモデル)が示された上で、財市場の不完全性を強調するNew IS-LMモデル、労働市場の不完全性を協調するサーチモデル、金融資本市場の不完全性を強調するクレジットサイクルモデルという形でまず紹介される。この対比は分かりやすいと感じた。
 第二章から第四章は、New IS-LMモデル、サーチモデル、クレジットサイクルモデルについてより詳細な記述がされている。
 New IS-LMモデルについては、家計と企業の動学的最適化行動からNew IS-LMモデルへと繋がる導出過程が纏められた上で、New IS-LMモデルに対する批判点であるGDP・インフレ率の調整速度が速すぎること、マネーサプライの上昇が恒久的に残ってしまうような状況下では経済は不況に陥るという点が紹介されている。本書ではこの一つの解決策として過去のラグ項を考慮したHybrid型New IS-LMモデルが紹介されている。ただしこのモデルにはミクロ的基礎づけがなく、様々な方法での改良の努力がなされているとの記載がある。
 サーチモデルは労働市場の不完全性を具としてRBCモデルに織り込んだものだが、本書では賃金の粘着性ではなく労働市場における摩擦を考慮しつつ、衰退産業、中立産業、成長産業の3部門モデルによるシミュレーション結果が解説されている。確かに氏の言うとおり産業を大まかに区分けしてしまっていることやそれを判断する主体(政府)の存在も問題だと思うが、これは各種実証分析の結果から判断すべき問題だろうと感じた。マクロ経済政策の有効性の視点で考えれば、モデル上で区分した産業に等しく正のショックを与えたときに衰退産業・成長産業・中立産業の位置づけがどのように変化していくのかが知りたいと感じた次第である。
 クレジットサイクルモデルはRBCモデルに資本市場の不完全性を具として考慮したモデルである。再分配政策を行った場合の効果については資金移転が生じた家計の消費が一時的に低下する(痛みを伴う)一方で資金投入がなされた企業の消費は増加し、長期的には家計消費も含めた全体としての消費は増加するとの結論が得られている。これは氏も書いている通りモデルの構造からすれば当然の帰結だろう。ただし強調したいのはこのモデルをもって「最終的には皆よくなるから一時的な痛みに耐えることが避けられないという議論を導き出すのは無理があるのではという点である。
 第五章は最適金融政策の理論として、IS-LMモデルの枠組みに中央銀行の最適化行動を加えた場合の理論、第六章はIS-LMモデルをNew IS-LMモデルに置き換えた上で再度最適金融政策を考えるという構成になっている。コミットメントと裁量政策、価格水準ターゲティング、名目GDPターゲティングといった金融政策の枠組みが数式を織り込みつつ邦語で解説されているのは有難い限りである。書かれている内容については、特にtimeless perspectiveと政策の歴史依存性が表裏一体の関係にあることを説明するくだりは分かりやすく読んだ。誤解を恐れず苦言を呈するとすれば、New IS-LMモデルがはらむ問題点を強調したうえでその結果として得られる政策提言の評価を行うのであれば、その他のモデル(sticky informationモデル、state dependent pricingモデル)での試みも敷衍すべきではなかっただろうか。


2.計量分析の視点
(1)CGEモデルとの兼ね合い

 以下、無理解に基づく誤解もあると思うが、テクニカルな点について感想を書いてみたい。本書では現代のマクロ経済学を解釈する上での標準的ツールとしてDSGEモデルが取り上げられているが、政策分析の現場では環境政策の効果、通商政策の効果、公共投資の地域への影響、構造改革の経済効果等を判断する目的でCGEモデルが用いられている。CGEモデルは消費・生産主体の最適化行動を記述した上で純粋なアロー・ドゥブルー経済を再現したものに始まり、独占的競争、産業の異質性、規模の経済を考慮したもの、動学モデルについては私の知る限りではラムゼイモデル(もしくはRBCモデル風味)なモデルに基づくものやrecursiveな形でのモデルが作成され、分析に利用されている。
 本書を読んで感じたのはDSGEモデルとCGEモデルの違いは?多部門か否か、?カリブレートという言葉に含まれる意味合いの違い、?前者が確率変数が考慮されているのに対して後者は確率変数はないという点である。
 ?に関しては、CGEモデルに限らないだろうが、動学モデルを作成して分析を行う場合、full dynamicかつ多部門の枠組みで定常均衡値を得るのは至難の業である。本書で展開されているモデルを多部門に展開した場合、以上の問題はどのように解決しうるのか、もしくは解決できないのかといった点は疑問に感じた。また関連して動学モデルにおいてはdeep parameterに関して理論的に要請される制約条件を課さないとカリブレートの結果として得られる解が定常均衡解とならず、かつサドルパスにも乗らないという事態が発生すると考えられる。この点を含めて実際に動学モデルを作ることは容易ではないと思われるが、DSGEモデルにおいてはそのような難点は発生しないのか、本書の中ではあまりふれられておらず疑問に感じるところである。
 ?の点とも関連するが、本書の7章では実際にDSGEモデルを解くためのMatlabコードの解説が記載されている。それをみると、a)deep parameterを先験的に与えた上で、b)定常均衡を満たす解をdeep parameterを用いて解き、c)定常均衡を満たす形でモデルを再現した上で、d)タイムスパンを設定して外生要因を変化させた場合のインパルスレスポンスを見る、というのが基本的なステップだとわかる。
 そこで?の点だが、CGEモデルの場合は主要なパラメータ(弾性値等)を先験的に設定し、さらに統計資料等から収集した現実データを前提として残りのパラメータを求める方法をカリブレートと呼んでいる。解かれた値は産業連関表やSNAで実現された値となる。DSGEモデルの場合にはdeep parameterからモデル式に沿って文字通り仮想的に解を得ることをカリブレートと呼んでいるのではないかと感じた。無論、基準化している変数を現実的に観察されるデータに置き換えてやれば現実値に即した値が得られ、それはモデル整合的な解であるともいえるが、現実値との乖離が生じる可能性が高い。
 そのため?の確率変数項(供給ショック、需要ショック)が現実値との乖離を埋める役割を持つことになる*2。以上の点を纏めると、CGEモデルの場合は現実値を前提とするため、パラメータの一部を現実値と先験的に与えたパラメータから推計することでモデルがデータを再生するように処理を施すが、DSGEの場合は確率変数項がCGEモデルでいうところの「パラメータの一部」に相当するのではということだ。

(2)deep parameterについて
 CGEモデルについてもそうだが、deep parameterはコブダグラス型関数のように実際のデータから容易に得られる場合を除けば、モデル構築の際には実証分析の結果から参照される。CGEモデルの場合も共通の悩みを抱えるわけだが、実証分析で得られたdeep parameterがモデルの基準年次と対応しないといった状況も散見されるところである。GMMに基づくパラメータ推計に関して言えば上記の点は結局パラメータの安定性が担保されるかどうかという意味だろうが、この点についてはDSGEモデラーの中ではどのように捉えられているのだろうか。


3.感想
 伝統的な計量分析の手法から言えば、ミクロ的基礎に従わないドマクロ的実証分析で長期に渡り安定的なパラメータが得られれば、それを用いて政策議論を行うことも可能だと思う。又、過去においてある種の政策を行った場合にどのような反応が生じたのかを分析するということも必要だろう。繰り返しになるが、本書はDSGEという枠組みの元でモデルを作成し、シミュレーションを行うという点を分かりやすく解説しており有用な書籍であるが、一方でファクトファインディングとしての意味合いを含むドマクロ的回帰分析にも一定の有用性があると感じる。問題は作法ではなくいかに有用なインプリケーションが得られるかという視点ではないだろうか。本書で展開されている政策評価の中では提示されているモデルの中から得られる部分とそうでない部分とが必ずしも明確でないと感じた。だとすると、モデルの不備を補う分析としてドマクロ的実証分析にも有用性があるとはいえないだろうか。

本書を読むとDSGEのみが有用であるという感覚にとらわれるが、政策の効果を分析するといった場合、内閣府等で公表されているマクロ経済モデルと同等の情報量を有する形まで整備されないと現場では中々使いづらいと感じる。ピザ(DSGE)の浸透も含め、実務家レベルでどの程度こなれたモデルが作成・運用されるようになるのか、CGEモデルや既存のマクロ経済モデルとの融合がどの程度図られるかが鍵となるように思われる。

*1:ここポイント!(泣)

*2:日銀で公表されているワーキングペーパーにもそのような記述があった記憶がありますが、こんな理解で良いんでしょうか?