デフレに対する有効な政策がなぜ受け入れられないのか

 一昨日紹介した野口(編)「経済政策形成の研究」所収の第六章「平成デフレをめぐる政策論議 インサイダーの視点から」と題した論文は、イェール大学教授で経済企画庁経済研究所顧問、経済社会総合研究所所長を歴任された浜田教授による「政策現場のインサイダー」としてみた平成デフレの政策論議を纏めたものである*1
 本論文において重要な点は、なぜ経済に様々な害悪をもたらすデフレに対して有効な経済政策がなされないのか?という点だろう。以下、浜田論文で記載されている「デフレの害悪」の内容を確認しつつ、浜田論文の感想を「経済政策形成の研究」に所収されている第八章の論文「「経済学的発想」と「反経済学的発想」の政策論」(by松尾匡教授)での論点も交えつつ書いてみることにしたい。

1.デフレはなぜ問題なのか
 デフレ問題に関する著者の意見は経済諮問会議における著者の報告に端的に要約されている。デフレ*2 *3の弊害および特徴、対処策について、著者は以下のように言及する。

デフレの弊害

  • 急激な株価や地価の下落
  • 失業と倒産の増加
  • 新たな不良債権の発生
  • 歳入欠陥
  • 投資意欲の停滞

デフレの特徴

  • デフレは貨幣的現象であり、デフレ対策の基本的手段は金融政策であり、構造改革や財政政策ではない。
  • 金融緩和政策は自然な円安傾向を助長する。金融緩和政策が上手く働くときには、恐らく円安傾向と結びついて経済の運営が行われる。

 以上の議論は全くもって正当である。90年以降の経済状況はデフレの弊害を雄弁に語っている。今更言うまでもないことだが、株価はバブル以降下落し、03年には7600円台という悪夢に等しい水準にまで下落した。地価も同様に大幅に下落した。失業率はじりじりと上昇を続け2002年には5%を超える水準にまで上昇した。倒産件数も同様である。不良債権は年々累増していき、巨額の公的資金の注入を行わざるを得ない状況にまで進展した。名目成長率の低下は歳入の低下をもたらし、企業は債務返済に追われ投資は停滞した。こちら*4でも明らかなとおり、我が国は長い景気回復局面に入っているとは言え、デフレ脱却宣言を出すことも出来ず現在でも物価はデフレで推移しているわけだ。

2.なぜデフレに対して有効な政策がとられないのか
 ではなぜデフレに対して政策形成の現場で有効な政策がとられないのだろうか。著者は、それは政治家といった「陳腐化された経済学的思考に基づく行動主体」ではなく、経済学者・エコノミストといった専門家がデフレの本質を理解していないことだと指摘する。デフレに対して有効な政策がとられないのは、政治家やマスコミが専門家の意見を曲解した結果ではなく、専門家が誤った考えに縛られているというわけである。ではなぜデフレを専門家が軽視し、さらにその有効な政策である金融政策を軽視するのだろうか。
 この理由として、著者はなぜ一部の経済学者やエコノミストがデフレを好むのか、そして日本の多くの学者やエコノミスト達がデフレは貨幣的現象ではなく、金融政策はデフレと無関係だと主張するのか、という二点に絞って考察している。

専門家がなぜデフレを好むのか?

  • デフレは一定の収入のある人間、一定の名目価格資産を持つ人間にとっては有利である。しかし失業する人にとっては深刻な問題である。このような主張をするエコノミストや学者は自ら失業する危険性が低いため、デフレを好むのではないか。
  • インフレへの恐怖感があるのではないか。第二次大戦後や第一次オイルショック以降のインフレの弊害の記憶が残存している。但し、日本経済は98年以降*5デフレが持続している。デフレ下で(わざわざ)インフレの可能性を懸念するのかが不明。
  • デフレを好む専門家はデフレが構造改革を加速し、シュンペータ的な創造的破壊をもたらすと主張する。但し実証研究*6や日本の経済状況からは新規起業が産業の生産性を拡大させるという創造的破壊は生じていない。

専門家がなぜデフレは貨幣的現象ではなく、金融政策はデフレと無関係と主張するのか?

  • 純粋な古典派の経済的視点を持っているため、貨幣は常に中立であると信じているのかもしれない。この視点に立てばインフレやデフレといった貨幣的現象は失業や過剰設備といった景気の実物的側面とは無関係である。しかしこの視点からはデフレの解決策として金融政策が役立たないという議論はでてこない。
  • 現実経済は流動性の罠に陥った状態と捉えているかもしれない。つまり貨幣需要が無限大であるため、金融政策は効果を持たない状態が生じていると考えるのかもしれない。確かに貨幣の流通速度等は減速していたが、流動性の罠の元でも金融政策がインフレ期待を醸成することができれば有効である*7
  • 金融政策の主要な手段は短期金利であるという日銀の伝統的な視点に影響されているのかもしれない。この理屈からすると政策金利がゼロになってしまうと金融政策はその実効性を失うことになる。但し伝統的な金融政策に拘泥することをデフレが貨幣とは無関係だという主張に結びつけるのは誤りである。
  • デフレは財サービスの過剰供給の結果と主張する者もいる。この主張は、貨幣バランス、他の名目資産価値、一般価格値それ自体が需要曲線と供給曲線の中に決定要因として含まれていることを見逃している。より大きな実質貨幣バランスが存在すると、供給曲線・需要曲線はともに上方にシフトする*8ワルラス法則が厳存するため、財・証券市場の過剰供給は必ず貨幣市場の超過需要(デフレ)をもたらす。
  • デフレは輸入価格の低下によるとする議論もある。この主張は輸入価格は為替変動に影響を受ける点を無視している。仮に中国の価格が低くても、円をドルに対して切り下げれば*9中国元の値が高くなるため、それがデフレ圧力にはならない。


3.感想
 デフレに対してなぜ有効な政策がとられないのか?という問いに対する浜田教授の答えは、そもそも我が国の経済学者やエコノミストといった専門家の一部がデフレの本質を理解していない、というものである。
 但し、浜田教授の考察から専門家の意見を受容し、政策決定に結びつける政治家に非が無い、それは専門家の問題であるから仕方ないという結論を導くのは早計だろう。なぜかといえば専門家の中でもデフレに対して正確な認識をし、有効な経済政策を主張する人々が存在しているため、「広く意見を徴収し判断を下す政治家」であれば有効な判断にたどり着く可能性もあるためである。これは、残念ながら路線表明のみに留まってしまったが、「上げ潮政策」の必要性が政策の主要課題に挙げられたことや、依然としてデフレからの脱却が政府の主要政策課題であることからも明らかである。
 浜田教授も言及されているが、「デフレが貨幣的現象である」という一点を正確に認識できない専門家が存在する我が国の専門家集団の能力が低いかといえば、そのようなことはないと思う。私は首是できないが、「金融政策は実態経済の反応に対して受動的に行われるものであり、経済変動の結果を反映したものである」という認識が日銀内部で広く存在しているという可能性もあるだろう。瑣末な自分の経験から考えても、マクロ経済学ミクロ経済学といった分け方で経済学を学ぶ場合、個別財の相対価格の決定要因について学ぶミクロ経済学の議論では貨幣ヴェール感といった考え方に知らずに引き込まれてしまい、個別財の議論と経済全体の議論における貨幣の役割が見えにくくなってしまう。一方でマクロ経済学においても(IS-LM理論において財市場と貨幣市場との同時均衡を扱うという意味ではワルラス法則が成立していることは明らかなのだが)学んだ理論を十分に咀嚼しないと「物価変化は貨幣的現象である」との思いに到達するのは難しいと感じる。
 専門家の中でも正しくデフレについて認識できない人々が存在していること、さらに非専門家である政治家の中でも経済学的に正しい認識が(仮に情報として得ていたとしても)受け入れられない場合もある一方で正しく受け入れられる場合もあるという点については、「経済政策形成の研究」第8章の松尾教授の議論を目から鱗が落ちる思いで読んだ。松尾教授は「専門知」=「経済学的発想」、「世間知」=「反経済学的発想」という区切りで捉えなおしてみると、「経済学的発想」を受け付けるか否かはその個人が経済学の専門的教育を受けているか否かに依存しないのではと論じている。
「反経済学的発想」とは経済学の共有財産・共通の思考ルールである発想と正反対の考え方であり、以下のものである。

i.操作可能性命題:世の中は、力の強さに応じて、意識的に操作可能である。
ii.利害のゼロサム問題:トクをする者の裏には必ず損をするものがいる。
iii.優越性基準命題:厚生の絶対水準よりも、他者と比較して優越していることが重要である。

「反経済学的発想」に心を奪われるか否かはその人の属性に依存しないという側面も重要だが、私がこの部分を読んで感じたのは、政治家に属する人々にとってこれらの反経済学的発想の親和性が高く、ある意味で政治家としての影響力や発言力を増していくためには、これらの命題の考え方を進めていくことが必要なのでは、という思いである。権力に対する追求は、操作可能性命題をエンジンにしてその力を増し、利害のゼロサム問題についての認識は、特定の支持者層の利害を反映するという政治活動そのものの本質に関係し、さらに「損をするものがいる」という認識はそれらに対する配慮とそのことで得るみかえりを想起させる。さらに優越性基準命題に惹かれた有権者をコントロールすることで自身の政治的影響力を増幅することができる、という風にみていくことはできないだろうか。
 勿論、経済学的に真っ当な認識を浸透させる努力は必要だろう。但し「専門家ですら合意できない認識を非専門家が認識できないのは当然である」と即断してしまい、そこから先に進まなくなってしまうのは誤りだと思う。それは諦念以外の何者でもなく、「誤った政策により害悪を受けたのは国民である」という事実の重みをないがしろにした認識ではないだろうか。

(※)少し最初の方だけ意味が通るように修正しました。ご容赦下さいm(@)m (9/10)
(※)追記させていただくと、浜田先生の論考では最後に「良いデフレ」という考えはほとんどの場合において間違えているということについては、ほぼ確実に浸透した、さらにデフレやインフレは貨幣的な現象であり、デフレ克服にはとにかく金融政策が重要なのだという点も、ある程度までは理解されるようになった、と論じられています。個人的には上記の浜田先生のご感想ほど認識は進んでいないと思いますが・・。「ある程度まで」のニュアンスをどう読み取るかということかもしれません。(9/10)

*1:ちなみに「愛の妙薬」を題材に浜田先生が小泉前首相にデフレの害悪を説明するくだりも味わい深い

*2:論文中にも言及されているとおり、デフレと景気循環とは別個の概念である。デフレを「景気後退を伴う物価下落」と定義してしまうと、物価変化が貨幣的要因によって生じ、デフレを脱却するためには金融政策をはじめとする貨幣的政策が重要な役割を果たす点が無視されてしまうためである。

*3:尚、経済企画庁ではデフレを「物価下落を伴った景気低迷」として定義していたが、01年3月16日の月例経済報告以降、内閣府は諸外国に併せる形でデフレを「持続的な物価下落」とし、景気循環とは切り離した概念として定義づけている。

*4:http://d.hatena.ne.jp/econ-econome/20070905

*5:消費税効果を除けば95年以降

*6:Caballero and Hammour(1996)や竹森俊平「経済論戦は蘇る」の記述、生産性に関する一橋大学深尾京司教授の研究(80年代初頭においても日本企業の新規参入や退出といった経済の新陳代謝機能は低く、90年代の生産性の低下は企業の内部効果(各工場における生産性の低下)の要因が大きいという結果等(http://www.rieti.go.jp/jp/special/af/035.html

*7:この点は浅田先生の論考(第七章)にKrugmanのIt’s baaack論文のモデル、齋藤モデルに内在する逆説、等を絡めた詳細な解説がある。

*8:おなじみの消費者行動理論、生産者行動理論で実質所得が上昇した場合の需要曲線、実質ベースの要素価格が上昇した場合の供給曲線を考えると分かりやすい

*9:つまり金融を緩和すれば